大中遺跡は、前回紹介した兵庫県立考古博物館(過去記事はこちら)に隣接してあります。
昭和37(1962)年6月、町内に住む3人の中学生によって発見されました。
それを、昭和47年から「播磨大中古代の村」として整備しました。
昭和37(1962)年6月、町内に住む3人の中学生によって発見されました。
それを、昭和47年から「播磨大中古代の村」として整備しました。
大中遺跡は、弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初頭(邪馬台国 卑弥呼と同時期)の代表的な遺跡で、長さ500m、幅180mで、約70,000平方メートルの広さがあります。
これまでに全体の20%の面積を調査し、73軒の竪穴住居跡が見つかっています。見つかった住居跡の数から考えると、遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたようです。
当時、貴重品だった中国製の鏡(内行花文鏡片)が出土しているので、播磨では有力な村だったみたいです。
大中遺跡の出土品は、播磨町郷土資料館(後日、書きます)に展示されています。
これまでに全体の20%の面積を調査し、73軒の竪穴住居跡が見つかっています。見つかった住居跡の数から考えると、遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたようです。
当時、貴重品だった中国製の鏡(内行花文鏡片)が出土しているので、播磨では有力な村だったみたいです。
大中遺跡の出土品は、播磨町郷土資料館(後日、書きます)に展示されています。